雑談
人生って楽しい事だけじゃないのはわかってるけど、その辛いときにに追い打ちをかけるのが昔の記憶ですな。
昔私はフェイスタオルを手放せない子供で、洗うとゴアゴアするのが嫌で、あんまり洗っていないタオルをサワサワしていました。
持病からくる不安や家族の中の悪さによる居心地の悪さ、保育園や学校も怖い。
朝はご飯を食べると薬を飲まねばならず、これを飲むと気持ち悪くなり、我慢できないときは吐いてしまっていました。
で、薬を飲んだり(飲みたくないので時間がかかる)、吐いている間にタオルが無くなります。
私は無くなったーと泣き、何処へやったんだと母は怒ります。
そして残飯のバケツやゴミ箱に入っているのです。
それを洗うのは母で、何やってんの!ちゃんと持ってないから失くすんでしょう、しかもこんな所に落として!と、怒るわけです。
想像すると朝っぱらからそんなことしたくないし、仕事行く前で忙しいし気持ちは分かる。
で、このタオル、もちろん自分でそんなことしてないんですよ。
兄2人のどちらかか、祖母がそうしてたんですよ。
実は大人になるまで自分が悪かったと思ってただけで、誰かが残飯にタオルを捨ててたとは思ってなかったのですよね。
可能性として、兄達は妹ばかりかまってムカつくから困らせてやろうという、子供心がないわけでは無いのかなと思います。
反抗期とか近づくし。
祖母は私が泣くとウルセーかイイ気味、ぐらい思ってたかも。
しかも私ではなく母が最も困るので日課にしていた可能性もなくはない。
毎日ドアを強めに閉めて大きな音を立てて母をイライラさせてましたから。
私は戦々恐々でした。
ま、この人が居なければ平和なんじゃないかと思って成長したし、向こうも、穀潰し的な要らない子扱いだったのでお互い様ですね。
誰が犯人だったんだろう。
兄だったら生きてるし、知りたくないので、出来れば知らないままで居たい。
祖母はもう亡くなったので、何もない。
怒るも仕返しするも見返すも何もできない。おわり。
近頃、自分として望んだ状態ではないこととかに直面する度に、祖母からザマーミロみたいな類の言葉を言われるだろうな、みたいな気持ちになって居るんです。
忘れられないものですね。
今子供の人たち、イジメとか家庭環境とかそういうので苦しんで、状況が良くなっても、一生思い出すのかなと思うと、そんなものは無くていいなと思います。
幸せボケで良いよ、こんなの知らないほうが頑張れるよ、好きな事できるよ、そう思います。
乗り越えて頑張って偉いねみたいなの、人生に深みが出るよみたいなの、要らないって。
でも、駄目だと思ったら別のルートを探す、それでいいと思う。
とりあえず、諦めはカンジン。
明日は良い日だと良いな。